完璧主義をやめたら生きるのが最高に楽しくなった。

完璧主義をやめたら生きるのが最高に楽しくなった。 メンタル

タイトルだけ見るとあの謝花が完璧主義・・・嘘だ、と言われそうなのですが・・・
以前まではかなりの完璧主義者でした。
常に正しいことをしなければならない。
常に曲がった道を歩んではいけないと強く、その完璧主義の概念の中から抜け出すことはできませんでした。
今では完璧主義を「ちょっとは掴んでくれよ!笑」と周りの仲間から言われるくらい、そのような考えは手放したといってもいいと思います。

しかしその頃本当に完璧主義に必死にしがみついていたし、それができないと人間ではなくなるというような強迫観念に似た感情が私を襲っていました。

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どんな完璧主義だったのか

仕事やお金や人間関係に対してはそれがものすごく影響を受けていました。
常に正しく、常に正義、常に真っ当にすることがポリシーで、そうする人こそ人間力が高いと勝手に思い込んでいました。

真面目にこなす仕事

言われたことお願いされたことはすべて受けてそれをきちんとこなしていました。
まあこのように書けば「いや仕事としてはあたりまえのこと」だと思うのですが、その請け負う仕事が確実に間違ってると思っても「クライアントが絶対」「お願いされたらその通りにやる」それだけを真面目にこなしていました。

いわばロボットです。

例えばホームページの制作の仕事の場合、先週まではお堅いビジネス系のデザインのホームページをお願いされて、今週になるとカジュアルなデザインに変えて欲しいと言われるとせっせと変えてしまう。
その上、やはりきちんとした会社であることをアピールするためにビジネス系のデザインの方が絶対にいいと自分でわかっていても、お願いされれば、どこかのキャラクターが掲載されるようなそんなカジュアルなデザインでも「仰せの通り」とデザイン変更にどんなに時間がかかっても作り込んでいました。

お金は汚いもの

そんな仕事でいただくお金は家賃さえも払えない低賃金。
「いやむしろ、仕事をくれることがありがたい」と自分に言い聞かせ、対価のことなど見向きもしなかった。

例えば、車イスであることから講演会の依頼なども年に数回きます。
そんな時も料金はほとんど無休・無料ボランティアに近かい状態。
頂いたとしても県で決められている1時間4000円。

人間関係は絶対

特に自分の中で完璧主義を貫いていたのが人間関係だと思います。
きちんとした挨拶をしなくてはならない。
常に会話の空気を読もうとし、相手が何を同意して欲しいのかばかりを気にしてイエスマンであろうと神経をトガラせていました。

何よりも人に対して失礼な発言をすることが一番の恐怖だった。

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完璧主義がひどくなると・・・

仕事がイヤでした

まずはじめに、仕事に対しての気持ちがすべてネガティブになりました。
毎回早く辞めたいとおもいました。
でも生活する上では辞めることができない、これが自分の運命だと思いました。
イヤでした。
仕事がイヤでした。
仕事がイヤな自分もイヤでした。
生活保護でももらって何も考えずにすべてに頼り切った毎日でも良いのかなと思った時期もありました。

お金がすべての悪だと思ってた

お金を持っている人のことを悪い人だと見てました。
性格が悪く、悪いことでしかお金は稼げないと思ってました。
そんな稼ぎ方なら私にはいらないと思ってました。
餓死したほうがいいと思ってました。
お金を持つことが悪でお金を持たないことが善だと思ってました。

誰も信じられなかった

人間関係が一番苦しかったです。
人に対して何を言えばいいのかわかりませんでした。
なのでおのずと人との会話が減るのです。
誰ともしゃべりたくありませんでした。
誰ともしゃべりたくなくなったら、誰とも会いたくないです。
誰とも会わなかったら自分の笑顔がどんどんなくなります。
自分の笑顔がなくなったらすべてがネガティブに回ります。
人を信じられなくなりました。
生きてることに意味を見いだせませんでした。
辛い苦しいという感情も湧きませんでした。
すべてが早くすぎればいいと思ってました。

テレビを見ていて

いろんな悲しいニュースが流れてくる番組と番組の間にお笑い番組が普通に流されていた。
その頃はテンションの明るい番組は見ることもできず、テレビの電源を消そうと思ったときにお笑い芸人の方が「不完全だからおもしろい」と言ったのです。

それから自分の積み上げてきたネガティブと固定観念がガラガラガラっと崩れ落ちてきました。
どうしてそこまで私は完璧を求めるのか?
自分に完璧を求めるあまり、他人にもそして世界にも完璧を求めている自分がいたことに気づいたのです。

「もともと俺は不完全で未完成だ」

体もそう、心もそう、すべて不完全ですべて未完成。
だからこそ見れる景色があり、だからこそ感じれる感情があるのだ。
完成を求める事ではなく、未完成を知ることが人生の醍醐味かもしれない、そう思った途端にすべてが軽くなりすべてが愛おしくなりました。

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完璧主義を辞める決断

その日から完璧主義をやめました。
すると求めていた完璧さえもちっぽけなものだったんだなと改めて気づきました。
今では余りにもぶっちゃけすぎて引かれすぎて多少嫌われることも多いかもしれません。笑
でも楽しいです。
不完全だからこそやっぱり楽しいのかもしれません。

失敗もします。
失礼なことも言うかもしれません。
男性女性かかわらず下ネタもバンバンいます。
恐ろしいほどバカになり、恐ろしいほど車イスを障害者をネタにします。
不完全であること・未完成であることがこんなにも素晴らしいということ、みんなにも知って欲しいです。

不完全な私から、未完成なあなたへ贈る小さなラブレターです。

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