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母は私を置いて去っていった。振り向きもせずに・・・母の日が近くなると思い出す心のメッセージ

この記事をたくさんの方に読んで欲しいです。ぜひシェアをよろしくお願いします。

母の日が近くなると思い出す心のメッセージ
母の日が近くなると思い出す情景があります。
それはあるところに私を置いていって母は振り向きもせずにそのまま去っていく・・・
これは実際に体験したことなのですが、今でもそれを思い浮かべると胸が苦しくなります。

ぜひどうか最後まで読んでください。

そして母親のいる方、どうか母親を大切にしてください。

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プロレス選手になる・・・


生まれてすぐの頃は、とても元気がよくいつも手足をバタバタさせプロレスやボクシング選手に将来なるのではと家族で話していたという。
なので名前は勇気のある武士のように「勇武」と名付けられたと聞きました。

こんなに元気な子でよかった。ただ・・・

脊髄性筋萎縮症の診断


その時は正式名称ではなく、進行性の筋肉の病気と診断されていました。

参考:プロフィール

母からもらった小さな三輪車


ハイハイさえもできない私は3~4歳ぐらいなると遊びたくて仕方がない年頃です。
でも全身の筋力がないために動き回ることができません。
そのことをわかってか、母は私に小さな三輪車を与えてくれました。(その頃車イスを知らなかった)

ペダルを踏むことができないために路面に足を引きずりながら、1~2メートルを1時間かけて前進することが私にとっての達成感した。

事件

ある日の事件
いつも三輪車で遊んでいる場所は軽自動車も入らない小さな庭でした。
出入口には三輪車が出られないように柵が設けられ私を守ろうとしていた。

だがある日、その柵を開けっぱなしにしてしまった。

好奇心旺盛の私は、母の目を盗んであっち側の世界へ出てみた。
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意識不明、ケガなし


その柵を越えると車が通る大きな道路になり、その道路はかなりの下り坂。
下り坂の力に負け、そのまま三輪車は猛スピードで道路を駆け抜けた。

そのあとからまったく記憶がない。

どうやらタクシーの運転手が道路の中央で倒れてる私を発見し助けてくれたという。

この事件でかなり近隣住民を不安にさせたらしい。

その事件があってから、三輪車は週に1~2回と限定された。

施設への入所


6歳を迎える頃に、施設へ入所した。
理由は2つ
私がすべて介護が必要なため、母親の経済活動ができないがため。
そして何よりも私に義務教育を受けさせるためだったという。

入所した施設には隣接した養護学校があった。
そこで小中高と通うことができた。

入所生活は楽しかった


同じ病気の友達がたくさんいて、車イスにも乗れて毎日が楽しかった。
同じ時間に起きて、同じご飯を食べて、同じお風呂に入り、おしゃべりをしたり、車イスなりの遊び方をいっぱい学んだ。
毎日が遠足で毎日が修学旅行のような気分だった。

年末年始やゴールデンウィーク

年末年始やゴールデンウィークや子供の日など
学校の休みが続くと母親は私を家へ外泊させた。
どんなに楽しい友達がいてもやはり自分の家がいい。

家に車イスはなかったが、一日中不自由を感じたが、それでも自分の家がよかった。

母親のご飯を食べれること
母親といっしょに寝れること
母親といっしょに同じ時間を過ごせること
何をするわけでもなくボケーっとしてただ1日が過ぎるのが心地よくて仕方がなかった。

母は私を置いて去っていった。振り向きもせずに・・・


連休が終わると、また施設へ戻らないといけない。
どんなに車イスで自由にまわれても、どんなに楽しい友達がいても、母親のいる家にはかなわなかった。


施設に戻るのが嫌だった。




移動の車の中で施設が近くなれば近くなること寂しさが増していくのが辛かった。

施設に着くと、いつも愛用している車イスに乗り、着替えや荷物の整理をしたら母親はすぐに帰っていった。

一度も振り向きもしなかった・・・


「バイバイ」も「またね」も言うことすらできないくらい、母親はすぐに帰っていった。

母親の帰っていく姿にさらに寂しくなり、涙しながら見えなくなるまで動かなかった。

私はこんなに寂しいのに、母親はあっさり帰っていくのがいつも不満だった。

ある日の連休


その日も実家で過ごし、施設へ戻ってきて荷物を整理していた。
いつもよりも母親が早く帰ろうとするので、あまりにも寂しくなりグズッたのを覚えている。

トイレがしたい・・・

足が痛い・・・

それでも母親は突き放すように「先生に行って来い」とさらに早く帰ろうとする。

これ以上グズッても効き目がないと気づき、私はきちんと見送ろうと母親から目をそらさないでいた。

いつものようにスタスタと帰っていく母親の姿に、この日は我慢できずに大きな声で「バイバイ」といった。

すると母親は一瞬だけ振り向き、腕だけでバイバイと手を振り、帰っていった。


母親がいつも振り向かなかったのは


母親も泣きそうなのをこらえていたから

母親が寂しい気持ちを出すと私がさらに寂しくなると思ってたのだろう・・・

一瞬だけ振り向いたあの日、母親の目に涙を浮かべてたのが見えた。

それからは私も


それから私も母親との別れの際、できるだけ明るく楽しく「またね」と言えるように頑張った。

男の自分がクヨクヨしてたらダメだ。

また次の連休の時まで自分は頑張るんだと自分に言い聞かせていた。

その日から連休時に家に帰るのがさらにうれしくなった。



今回の記事は同期ブログ企画の1つです


同期ブログとは、2015年1月から4月の間にブログ開設した方々のコミニティです。

同期ブログ参加メンバーは現在51名(2015年4月)
今回、同期ブログの企画で母の日と子供の日が近いこともあり「子どものときの母親との思い出」というテーマでみんなで記事を書こうということになりました。

参加条件は

【参加条件】
1,テーマ:【子どものときの母親との思い出】※記事タイトルは自由。
2,どなたでも参加自由です。 ※同期ブログ参加者以外でも大丈夫です。
3,SNSに投稿するときに【#doukimc】のコメントをつけてください。 ※記事のタイトルにはつけなくてもいいです。
4,同期ブログ企画であることと同期ブログの紹介(http://kiyo378101.com/douki-blog/)をしてください。
5、他の参加者の記事を紹介してください。
SNS上で【#doukimc】のタグで検索してもらえるとわかります。
6,こちらの参加条件を記事に書いてください。


他の参加者の記事


ブログ:まほろば風土記
・同期ブログ企画「親世代になって考える、子どものときの母親との思い出」

ブログ:@HOME GEEK
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ブログ:のぶろぐ〜好きをもとめて1光年〜
【マザコン】と言われてもいい。限られた時間大切にします。

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母から教わった、たった一言の言葉の重み

ブログ:考えるおやじ女子
【母の日】【子供の日】母親との子供の頃の思い出

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母の日くらい、お母さんのことを考えてみようかなと思って

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ブログ:ラジオねこきっくかみじょーの人生アツいな!
かみじょーが全国のお母さんに伝えたいこと #doukimc

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ブログ:人生楽しんだもん勝ち♫
母との思い出…になればいいなぁ。【母の日企画】



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生まれつきの進行性脊髄性筋萎縮症で車イス生活をしています。進行性脊髄性筋萎縮症とは全身の筋肉が日々衰えていく難病です。 自分の言葉や想いを文字にし、ブログで独自の世界観を表現していきます。 詳細は→プロフィール
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コメント

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