いろいろな人とコミュニケーションする中で、どこまでが芸人でいう「いじり」なのか?「いじりではない」のか?
その境界線で悩む場合がある。
もちろんそれはその人との信頼度に大きく左右することもあるのもわかるが、
そこで踏み込むことでさらなる信頼を築くこともまた確かである。
私の場合はどちらかというと
自分だけで自虐的なことを発することで
その場を和ませたりするのだが(かなりスベッている時が多いのだが・・・)
やはり相手とのコミュニケーションの中で
言葉のキャッチボールをかわしながら
信頼度を得たいものである。
そんな中、たくさんの人の会話を聞いていくと
こんなケースがたまにある。
他人の弱点を頻繁に攻める方・・・。
他人の弱点を責める人とは
始めは冗談で「いじり」なのかなと外側から見ていたのですが、
相手へのあたりがどんどんと強くなっていく。
他人の弱点を攻めると書くと
少しいじめのようなイメージが付きやすいが
言葉を発している側はそのような気持ちは一切ない。
ただただ、ちゃんとして欲しいだけだ。
もしかしたら弱点を攻めてるのではなく
相手にちゃんとして欲しいことを伝えていると思っている
ですが受け取る側が
言葉が強いと思ったとき
そのちゃんとして欲しいことが意味がなくなってくる。
他人の弱点を攻め続けると
その言葉を受け取ってる側は、
どうしてそんなに私の事ばかり責めるのだろう・・・
この方とはコミュニケーションをできるだけとりたくない・・・
そんな感情が湧き出てくる。
そうするとそこで大きな誤解が生じ、その人とのことを好きか嫌いかの判断までしなくてはならないくらい心が追い込まれてくる。
どちらが悪いわけでもなく
どちらもうまく相手に伝わっていないだけだ。
言葉が強くなって相手を責めてしまうのは
誰が自分の言葉を受け止めてくれる人
または自分に対して強く当たらない人だとわかった場合
相手に対してそのような強い口調で相手の直して欲しいところを告げる。
それは本当にただただちゃんとして欲しいだけなのに、
少しコミニケーションの方向が間違い
私は正解を言っている、あなたが間違いをきちんと治してあげている。
そのような感情を強く持っている方だ。
何よりも自分の正義こそが正義と相手に伝えた時
それはとても傷つける行為になってしまう。
【過去記事】人の数だけ正義がある。自分の正義を誰かに押しつけたとき、それは悪になる。私なりの正義の話をしよう
自分の正義しか見えない方は、ほとんどの方が自分に自信がない方が多い。
いや自分に自信がない方だ。
断言できる。
仮に自分に自信があった場合
世の中の正解や常識はほぼ必要なく
自分の中に自分があればその物差しは必要なくなるのだ。
逆に自分に自信がない場合は
正しさや正解を測る物差しを常に求め、
その正しさや正解を見つけた時に周りの人を傷つけるほどそれを刃のように振り回す。
人の間違いを指摘したところでポジティブは生まれにくい。
逆に
人の間違いを笑いに変えた途端ポジティブは広がってゆく。
そこの境界線がとても難しい。
他人の課題にはかかわらない
何よりも他人の間違いや他人の正すべきところを指摘したところで他人はそんなに簡単には変わらない。
逆に指摘された事で自分の間違いを正当化するために正しさに変える別の視点を持とうとする。
他人の問題には他人はかかるべきではない。
他人の問題はきっと誰よりも本人自身が問題としそれをどう直そうかと常に考えているはずだ。
そこに他人からの発言や言葉でさらに傷つけ、自分の弱い人は弱点をさらに広げたり、人間関係の好きか嫌いかという別の課題を持ってきてことが難しくなっていく。
僕らは他人の問題に口出しするほど偉くもないし立派な人間でもない
他人の弱点をせめることはもうやめよう
その人はもう自分の弱点の事気づいているはずだ。
人間は人間自分の弱点とどう向き合うかを常に考え生きていく。
みんな不完全な人間だから
だから人の弱い部分を見たら、
そこが愛らしいと思える
そこがかわいいと思える
自分の器を試してみてください。