どうしても人の弱点というのは他人からでは見つけやすくなっていてそれを直して欲しい、直した方が良いから私の話を聞きなさいとおせっかいな行動に出てしまう。
結局相手のためと思って発言や行動してるのだがそれがかえって人傷つけたりそこまで心に踏み込まないで欲しいとコミニケーションを避けてしまうような場面はよくある。
年齢が40に近づけば近づくほど本当におせっかいなことをやってしまう自分に反省。
他人のできない部分や弱点は本人自身が一番知っているはずだ
ましてやそれが怠けているだとか行動してないことになればなおさら自分の心が一番分かっているはず・・・
そんな弱い部分を他人から指摘され直すべきだと言われた時はやはり自分でも分かっている分イライラするものだ。
弱点はみんな持っているもの
結局人はみな弱い部分と強い部分を持っていってその間で揺れるから考える力や未来を創造する力を育んでいくのだろう。
そして弱い部分と強い部分という表現の中で弱い部分は直さなきゃいけない部分だと固定観念が自分のことをいじめてさらに弱い部分がどんどん弱くなっていく
そうやることで完璧な人になるべきだと訳のわからない価値感を埋め込まれ、完璧ではない人は何をしてもダメなんだとネガティブな感情が心の中に渦巻く。
そんなふうにネガティブな感情に支配されるのではなくてもっとポジティブな方向を見つけ出してそこに心をフォーカスさせた方が良いのではないかと最近思い始めている。
謝花は弱い部分のカタマリ
こういう表現はとても卑怯だと思うが、私なんか弱い部分のカタマリ。
車イスが本当に良い例だ
私は脊髄性筋萎縮症という難病で筋肉がほとんどない
その弱い部分を克服しないといけないと言われたら24時間のリハビリや減ってゆく筋肉をさらに酷使して残っている残存機能さえも無くなってしまう。
リハビリができない自分のことを毎日「自分はダメではないか」と責め続けていると身体の前に心の方が折れてしまう。
そうではなくて、今できることにフォーカスして
自分の思った事を文章にできる
ブログを書き続けることができる
歌を歌い続けることができる
作詞作曲だってできる
そんなできることにフォーカスすると自分の弱点さえもわからなくなるくらい自分という人間ができてしまう。
こんなにできることがあるのに確実に不完成な未完成な人間なんだ。
こんなに口は達者なのに弱い部分が恐ろしいほどある
でもそれが私自身なんだと思えば弱点さえもカバーできる自分という人間性ができてくる。
未来に繋がる良い事探し
今できないことを探すよりも今できることや今したいことに自分の目線や自分の心の向きを変えると先まで感じていた弱点がもしかしたら長所を感じさせる1つのスパイスになるのかも・・・
もっと今自分ができていることを褒めてあげて
自分にはもっとこんなことができるということを本当の自分自身に伝えてあげたい。
できないことにフォーカスして下を向いて毎日を過ごすよりも
今できていることそして今後したいことに目を向けて未来の方向を向いて笑いながら毎日を過ごしていきたい
私達は自分をダメだと言いすぎるし
誰かと比べて欠点を探しすぎる
自分にしかない大切なものはたくさんあるし
それはとてもかけがえのない誰にも変わることのできない大切な大切な宝物持っている。
私は幸せになっていいし
もちろんあなたも幸せになっていい
それだけは皆平等で
それだけで凄い権利を持って私達は生きている