東京遠征

「私が死んだらこの子はどうなるの?」難病の子を持つ親の悲痛の叫び

この記事をたくさんの方に読んで欲しいです。ぜひシェアをよろしくお願いします。


3年以上ブログを続けているとありがたいことにたくさんの方に謝花勇武という人間を知って頂き時には講演依頼だとかも頂いたりしちゃったりします。
特に最近の講演会では本当に自分の言いたい事だけを言いたい放題言って自分だけスッキリするという目的のためやってるのですが講演会後、個人的なメッセージを頂き講演会後から繋がりを持たせてもらう方もいらっしゃったりします。

特にこのブログ「車イスだからこそ」を読んでいる方々からメールやラインを通して個人的な質問や疑問頂くことも多く、私への質問や疑問よりも悩み相談の方が多く、そのアドバイスや私の解答が当たってるのか?回答後、自分が悩んでしまうことも多々あります。

今は40歳独身の謝花勇武に恋愛の相談が来ないか?その場合どういうふうに回答していいのか?ビクビクしている状況です。笑
冗談はさておき、相談でいつも思い出す出来事があります。

私と同じような難病のお子さんを持った母親から切実な訴えの相談というより叫びに近いことを投げかけられた時がありました。

「私が死んだらこの子はどうなるの?」

その時に、自分の解答は本当に当たっていたのだろうか・・・?
そのことがずっと心に引っかかっています。

いや、謝花勇武としての意見はきちんと言えたじゃないか
違う、そもそも他人の私がアドバイスや回答を出す立場ではない

ずっと頭の中で繰り返し繰り返し自分を責め続けています。

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難病の子を持つ親の未来への不安


ブログを書いていたり音楽活動や講演活動を行って表へ出るような活動しているとたくさんの方と出会いたくさんの方と繋がることができます。
その中でやはりいろんな方から個別でメッセージを頂き質問や疑問を投げかけてくださる方がたくさんいます。
それは自分の活動が誰かの心に少しでも届いているのかなと実感できる瞬間です。

いろんな質問や疑問をもらう中でも今でもずっと心の中に引っかかっている出来事があります。

私と同じような難病の子を持つお母さんの切実な心の叫びです。

「私が死んだらこの子は一体どうすればいいのだろう・・・」

実は同じような悩みを同じような難病の子を持つお母さんというケースで2回ほど質問された事があります。

1回目のケースはほぼ私と同じように車イスで生活をしている筋ジストロフィー症のお子さんを持った母親からでした。
施設には入院せず自宅でお母さんと2人で過ごしていました。
60歳を越えたお母さんは腰も曲がりひとりで難病の子を介護してるのは、本当に大変な状況だなとこちらが気落ちするぐらいでした。

私が死んだ後、難病の子は・・・


そのお母さんはこのことだけが毎日毎日心配でどうすれば良いのか?本当に切羽詰った心の状況だったと思います。
そのことを私に話したと同時にお母さんの目からどんどん溢れてくる涙が止まりませんでした。

私はこの時は何も言えませんでした。
その状況が手に取るようにわかり過ぎるために何も答えることができませんでした。
唯一できた事は「わかります。わかります。」とお母さんの気持ちを落ち着かせるようにいうのが精一杯でした。

それからだいたい10年くらい経った去年の秋頃
同じ難病の子を持つお母さんから同じような質問を受けました。

そのお子さんは生まれつき難病で年齢は20歳を過ぎているのに小学校低学年くらいの身長でさらには言語で意思表示もできない上に人工呼吸器を必要としていて24時間誰かがつきっきりではないと命の危険があるお子さんでした。
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この子は私がいないと生きていけない


私が元気なうちはこの子を介護することに何の苦も感じない。
この子が生まれてから今までずっとつきっきりで面倒を見てきたからそれが私の生活なのかなと思っているくらい
でも、私がこれからどんどん年齢を重ねて介護はできなくなったり、急に死ぬことがあった場合その後この子はどうなるだろうと思うと心がパニックになって死にきれない・・・。

その親子を目の前で見るだけで人と人と比べることは決して良くない事だけど自分はどんなに恵まれている状況や環境なんだろうと強く反省をしてしまった。

そのお母さんはかなり冷静な方で私と話しながら感情を高ぶらせることはありませんでしたがでもやはり非常に不安な顔をして助けて欲しいと強く心から叫んでるような印象を受けました。

前回の場合は謝花勇武の意見を押し殺し聞いてあげるだけで受けとめてあげるだけで何か不安が少しでも軽くなればいいなと思っていましたが、でも結局はこの不安はまた日々の生活で不安を積み重ねさらに重くなっていくんだろうと気づいた時にはもう自分の中では遅かったです。

そうではなく本当の自分の意見をきちんと伝え、それで嫌われるだとかとても否定された気持ちになるかもしれないが何かちょっとでも今の現実から変える何か小さな光が見えればと心を入れ替えました。

「自立させることです」

講演会の最後の質疑応答で行われたやりとりです。
会場のお客さんが引いているのがすごく肌で感じました。

「やはり自立させることですか・・・」
お母さんは少しため息まじりに返してくれました。

「人工呼吸器を付けていて意思疎通も上手くいかずさらにはほとんど寝たきりのお子さんにひとりで生活してひとりで自立生活をしなさいというのはとっても冷たく聞こえるかもしれませんがそれが一番の解決策だと私は思っています」

「この子は介護だけじゃなく医療も必要としていてもしかしたら命に関わる出来事が起こる可能性もあります」

「はい、心配したら心配するだけ心配事が無限に増えていきます。心配ではなく信頼に変えてこの子の未来を信頼してさらにはこの子介護する方看護する方にも信頼をしてみてはいかがでしょうか?」

「はい。わかりました。そのようにやってみます。」

「ぜひ前向きに考えてみてください。あんなにも心配していたことなのにあっさり上手くこともあると思います」

「最後に質問していいですか?自立させてすぐにこの子が死んでしまったらと考えてしまうですが・・・」

「もちろんそういうこともあると思います。自立した翌日に命を落とす。そういうことも起りうることです。でも仕方ないです。生きるってそういうことなのです、でもお子さんは絶対に俺は短かったけれども自分で生活できた!自分で生きることができたと最大級の幸福と快感を絶対に感じると思います。同じ障害者として私が保証します。そして、自立させてくれたお母さんありがとうと心から感謝すると思います。」
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生きることの本当の意味


障害を持っている持っていないにかかわらず明日がずっと生きられる保証なんて誰にもありません。
誰にもです。
僕らはどこか生きることの価値は長さだと勘違いしている部分があります。
長く生きられれば生きられるほどすごいと感じていて逆に短かった人ほど残念だったと思うような価値観があるような気がします。
でもそれは私は絶対に違うと思います。
短くたって自分は生きたんだと強く感じることができる事は僕ら人間にとって本当に最高な生き方だと強く信じています。
どんなに長く生きたとしても自分のやりたいことを我慢して大きな夢も描けずにただ他人の顔色だけ伺って自分の意見を押し殺して生きることは本当にそれで良いのでしょうか?

あの時私に質問をしてくれた2組のお母さんとお子さん
元気に毎日を過ごしているでしょうか?
あの時私が投げかけた言葉はポジティブな方に動いたでしょうか?それともネガティブな方に動いたでしょうか?
あなたの歌はいろんな人の心を動かす何かがあると言ってくれた事、そのことが今でも強い自信として自分の中に入ってきています。
いっぱい歌うから水分補給きちんとしてよとくれたスポーツ飲料がとても美味しかったです。

あの時私が行った言葉は本当によかったのだろうかともらったのと同じスポーツ飲料飲んだ時に思い出してしまうのです。

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生まれつきの進行性脊髄性筋萎縮症で車イス生活をしています。進行性脊髄性筋萎縮症とは全身の筋肉が日々衰えていく難病です。 自分の言葉や想いを文字にし、ブログで独自の世界観を表現していきます。 詳細は→プロフィール
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