もっと感謝しなさいの言葉は暴力にしか聞こえない

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少しでも自分のわがままが過ぎたり、自分勝手な行動が目に付くようになるとほとんどの場合言われる言葉が「あなたは感謝が足りない」「もっと感謝をしなさい」
その言葉だけでなぜか自分が反省しなくてはいけないよな状況になり、一時的におとなしくなる。
まぁ一時的だけど・・・笑

「もっと感謝をしなさい」という言葉にいつもいいならされていた。
でも、いつもどこかで引っかかりネガティブに似たモヤモヤとした思考がずっと自分の中を駆け巡る。

そして気づきました。

もっと感謝をしなさいは暴力にしか過ぎない。

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感謝をいつも隣に


感謝という言葉はとてもすてきだ。
もちろん私自身も感謝を大切にといつも自分に言い聞かせている。
そしてお会いする中でとても魅力的だなと思う方は、やっぱりいつも感謝の心が溢れ出ている。
感謝する気持ちは常に隣に置いておきたい。
そのくらい自分も感謝が大切だと思っている。

もっと感謝をしなさい


人間関係や社会生活は営む中でやはり感謝はとても大切なキーワードになってくる。
そして何か誤解や勘違い、人間関係が上手くいかないときに大概言われる言葉が「もっと感謝をしなさい」。

もちろん感謝が大切なのは知っている。
でも「もっと感謝をしなさい」と言われると自分の中のチカラがすべて抜き取られるような、それでもこちらが反論を出すとすべてが悪のような、何とも言えない状況になる。

偽りの感謝


そもそも、他人から「もっと感謝しなさい」と言われて感謝の心は出てくるものなのでしょうか?
いいえ、違います。
感謝という感情は自ら自然に溢れ出てくる感情だと思うのです。
それを強制されることに問題があるのです。
他人から言われて増える感謝なんてそれこそが偽りの感謝なのかもしれません。

感謝が正義になっている


もっと感謝をしなさいという方は、もしかしたら感謝が唯一の正義になっているかもしれません。
以前過去記事にも書きましたが、正義が人を傷つける場合もたくさんあるのです。

【過去記事】人の数だけ正義がある。自分の正義を誰かに押しつけたとき、それは悪になる。私なりの正義の話をしよう

感謝に良いも悪いもない


もしかしたら感謝に多い少ないもなく、質に良い悪いもないかもしれない。
もしも感謝に多い少ないや質の良い悪いがあるとしたら、そこから確実に差別主義が生まれる。
感謝というものは一人称でありがたいと思った時、それだけの感情、それだけの心情なんだと思う。
そこに他人が関与するスペースなど元々ないのです。

もっと感謝をしなさいという言葉は


ある意味人を傷つけてるのかもしれません。
かといって感謝が必要ないと言ってるわけではありません
感謝はすごく大切なもので、それが僕ら一人一人すぐそばにあれば世界はどんどん平和になると思います。

最後に、この記事を読んで何か感じたのなら・・・

私に感謝してください。笑

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生まれつきの進行性脊髄性筋萎縮症で車イス生活をしています。進行性脊髄性筋萎縮症とは全身の筋肉が日々衰えていく難病です。 自分の言葉や想いを文字にし、ブログで独自の世界観を表現していきます。 詳細は→プロフィール
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